untouchable あの方が死んでしまってから、自分の人生は狂ってしまった。 否、最初から正しくなんかなかったかも知れない。 ここで働くようになってから数週間。 僧達からの冷たい視線にも慣れ、無駄に長い廊下を渡った。 激しい戦火の中、奇跡的に損傷を受けなかったこの神殿。 もっともそれは外観だけの話で、内部の装飾品が壊れていたり、そこらじゅうに血がこびりついていたりはするのだが。 その中でも血痕の面積が一番大きい部屋─最高司祭室の前に立った。 扉を一定のリズムで叩くと、暫くして同じリズムの足音がした。 これが自分達なりの『入室同意の合図』だ。 ドアノブを回して部屋の中へ入ると、床に散りばめられた大量の書物と、豊かな金髪を結い上げた彼女の姿があった。 彼女は自分の顔を見るなり、微笑して言った。 「ノール殿。申し訳無いのですが、書物の整理を手伝って下さいませんか?私1人だと時間がかかってしまって…」 「…分かりました」 「助かります」 彼女は─聖女・ナターシャは、こうして何かと理由を付けて自分を傍に置きたがった。 戦時中からそうだった気もするが、ここ最近は特にそう感じる。 思えば本来聖職と対をなす職─帝国宮廷魔導士であった自分が神殿で働いているのも、彼女が強引に誘ったからだった。 分厚い聖書を本棚に収める彼女を見つめる。 何故この人はここまで自分に執着するのだろうか。 その理由が全く思い付かないわけではないが、それは推測であって信憑性に欠ける。 しかしその可能性を肯定はしなかったが、強く否定も出来ずにいた。 こちらの視線に気付いたのか、彼女が振り向き微笑む。 心持ちが悪くなって、微妙な愛想笑いを返した。 彼女の部屋から退室した後、夕方からのミサの準備に向かう事にした。 こういう雑用は、大抵下っ端がするものだ。 倉庫から儀式用の敷布を引っ張り出し、聖堂へと向かった。 倉庫から聖堂までは、結構な距離がある。 毎日その道をあるいていれば、どの辺で何があるか分かるものだ。 例えばそこの曲がり角。 石畳のひとつだけ色の違う部分に足を踏み入れると、上から必ず花瓶が落ちてくる。 今ではすっかり慣れて、花瓶をキャッチする事も出来る様になってしまった。 その他にも自分が通る所にだけ、こういうトラップが仕掛けられている。 大体の犯人の目星は付いている─よくもまあ、毎日毎日やるものだ。 後ろからの視線を敢えて無視して、再び準備を始めた。 厳かな空気漂う聖堂。 ステンドグラスに陽の光が射し込み、幻想的な雰囲気をも加える。 聖書朗読や十字を切るのには慣れたものの、この感じだけはどうしても身体に合わない。 生まれたその時から身体に染み付いている闇のにおい。 それがこの空気を拒絶する。 祭壇には彼女が立ち、神に捧げる祈りを唱えている。 「ああいうのを聖女というのだろうか…」 口の中でそう呟き、不気味な笑みを浮かべる神像に嫌悪の視線を向けた。 ミサで使った器具の片付けもあらかた終わり、残っていた杯を手にして外に出ようとした。 しかしそれは叶わない様だ。 扉を開けると目の前に数人かの僧が現れ、彼等の手によって再び聖堂の中へ戻されてしまった。 自分が僧として働く事を、最後まで反対した者達だ…日々の嫌がらせも彼等の仕業だろう。 壁際に追い込まれ、逃げ場が無くなった所で両腕を封じられる。 後ろの方から小太りの高司祭がこちらに歩み寄って来た─どうやらリーダー格は彼の様だ。 司祭はこちらの顎を掴み、吐きすてるのかの様に文句をついた。 「貴様…闇の使徒の分際で、よくのうのうとこの場におるな。グラドを再び魔王の支配下にするつもりか!!」 「……」 「しかもナターシャ様を誘惑するなど…貴様の様な汚らわしい者が、聖女様に触れるなど、神が許されるはずなかろう!!」 醜いと思った。 神だの許すだの言いながら、1人によってたかって危害を加える彼等が。 闇魔道に身を捧げていた自分でも、宗教というものの基本概念くらいは知っている。 宗教や聖職者自体は嫌いではなかった。 しかし、髪を免罪符にして傲慢な振る舞いをする輩はどうしても好きになれない。 突然腹部に痛みが走った。 息が苦しくなり、思わずその場に倒れ込んだ。 僧達はそんな自分を囲み、嘲笑う。 司祭が指示をすると、僧達は暴行を始めた。 本来治療に使う聖杖で、人を傷付ける。 醜く滑稽だった。 途中から何をされているのか分からなくなってきた。 ただ分かるのは鈍い痛みと血の色、むき出しの殺意だけだった。 初めは彼等も自分を殺すつもりは無かっただろうが、ヒトを痛めつける快感に魅了されてしまった彼等の理性はもはや切れている。 途切れ途切れの意識の中で、冷静に観察している自分がおかしかった。 司祭がどろどろになっている自分の身体を引っ張り出した。 そして恍惚とした表情で、自分の頬を撫でた。 「美しい…汚れたものが消滅しかかっている姿は、淡く惨めで美しい」 「…はぁっ、かはあっ!」 「司祭様、よく見たらコイツ器量良いですよ」 「確かに、下手すればその辺の女よりも上玉やもしれん。…お前達、どうせじきに死に絶える身体だ。好きに使うと良い」 「ありがとうございます」 「この身分じゃ、自由に女も抱けないからな…この際男でも構わねえ」 「ちょっとまてよ!俺からだぜ」 目の前に居るのは司祭や僧達ではない─理性を失くした獣だ。 それ等が自分の衣服を剥ぎ、荒々しい吐息を素肌にかける。 激しい吐き気と嫌悪感がよぎった。 自分の身体の状態を見たくなくて、そっと意識を飛ばした。 気が付くと寝台の上に居た。 白い天井、白い壁紙、白い敷布に白い僧服。 白い肌に巻かれた白い包帯の隙間から、赤黒い傷跡が見えた。 それを見て頭から血の気が引き、同時に傷が痛みだした。 そこで初めて、未だ生きていたと自覚する。 よく見てみれば、最高司祭の寝室で寝かされていた事に気付く。 という事は、手当て等は全部彼女がやってくれたのだろうか。 恥ずかしさやら情けなさやらその他諸々の感情が入り混じり、顔から火が出そうになる。 目を逸らすかの様に視線をサイドボードに向けると、置き手紙があった。 そこには傷の症状、自分に傷を負わせた者達への処分、何故か自分への謝罪が、彼女の整った筆跡で書かれていた。 どこまで慈悲深い人なんだろうか。 心の中でさえ皮肉しかいえない自分に苛立ち、またおかしくも思う。 あれこれ考えるのが面倒になって、再びベットの中に沈んだ。 目蓋を閉じると、聖堂にあったあの神像が映った。 今度は不気味な笑みではなく、穏やかな笑顔を浮かべていた。 もうあの空気に拒絶することはなくなるだろうか。 彼女の生きる道に少しでも染まれるだろうか。 そう考えているうちに睡魔に襲われ、気が済むまで眠る事を決め込んだ。 |
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