愛の世界



ロストン城を襲ったグラド残党を撃破し、束の間の休息を取る事が出来た。


静寂な空気の中に確かに感じる事が出来る─身が凍るような緊張感。
それは最後の戦いが、リオン皇子との対決が迫って来ているという現実を思い出させた。


彼はこの状況をどう思っているのだろうか。


中庭を臨む渡り廊下に佇むノール殿の方を見た。
先程から全く動く様子も無く、闇の中に溶けてしまうのではないかと錯覚してしまう。

やはり彼はこの空気に耐えられないのだろうか。
長年慕ってきた主を討たなければならない、この状況を未だに信じることが出来ないのだろうか。
もし自分が同じ問いをされたらどう答えるだろうか。


どうしようも出来ない重圧に胸を締め付けられ、じっとすることが苦痛になってきた。
冷気たちこめる廊下を進み、彼の許へ近づいた。


「…ノール殿」
「ナターシャ殿。どうしましたか?こんな遅くに」
「何故か落ちつかなくて…気付いたらここに居ました」
「そうですか。私も部屋に戻る気がしなくて…」
「…あの、大丈夫ですか?」
「心配してくださっていたのですね、ありがとうございます」
「………」


今彼が浮かべている笑顔は偽りのもの。
自分を安心させる為に見せたもの。


そんな痛々しい表情を見せられてしまったら、逆に切なくなる事をこの人は知らないのだろうか。


ふと視線を逸らすと、吐息が白くなっている事に気付く。
冷え込みは更にきつくなり、体が僅かながら震えている。


無意識のうちに、彼の右手を両手で包み込んでいた。

白魚の如く血色の無いそれは、やはり冷たい。
それでも触れているうちに、少しながらも温みが戻ってくる。
その温みがまた消えてしまわない様に、ひたすら暖め続けた。

彼の白い顔は淡い赤に染まった。

でもそれと同じ事が自分にも起こっているのが自覚出来た。
他の部分は冷たいのに顔だけは変に熱くて、意識が飛んでいきそうになる。


自分の意思に反して、勝手に口が開いた。


「あなたには…私が居ます。あなたが全てを失くしても、私だけは傍に居ます。辛い時も悲しい時も、あなたを支えます…」
「ナターシャ殿?」
「だから…だから大丈夫です。怖くない、怖くないですから…」
「…あなたは本当に優しい方ですね」
「ノール殿、私は…」
「あなたは私のような人間にまで心を向けてくれる。無価値な存在にまで愛情を注いでくれる。そんなあなたの優しさに、私は救われました。…ありがとうござ います」
「………」


自分の言葉を彼は違う意味で捉えたらしく、これ以上喋ることは出来なかった。



あなたが思うほど私は「優しい」わけじゃない。
むしろ自分勝手で貪欲な醜い魔物。

あなたが欲しくて、あなたを縛り付けておきたくて、あなたが離れていくのが怖くて。


本来ならば「聖女(シスター)」を名乗る資格も無い。
あなたと出会って初めてそれに気づいた。


今まで知らなかった自分の嫌な部分を認めたくなくて、あなた自身を嫌悪していた時期もあった。
でも今ではそんな自分が嫌い。
自分の醜さをあなたのせいにしたから。


夜の虫が火に身を寄せるように、私もあなたに吸い寄せられる。
そうして身を焦がし、溺れていく。

それが私の愛の世界─




ノール×ナターシャ。
BGM:愛の世界@aiko


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