学校からアパートに帰ってきた悠斗は、薄暗い台所に明かりを灯した。 ダイニングテーブルの上には、一万円札が一枚置いてあった。 それは無言のメッセージ─今夜は家に居るな、という意味。 奥の襖を睨み付けてみれば、睦み合う男女の声が漏れているのが分かる。 「…今日も違う男かよ」 悠斗はぼそっと呟き、その場から飛び出していった。 夜の繁華街、そこを悠斗はふらふら歩いていた。 家に居るなと言われても夜を過ごす場所なんか無いし、金を渡されてもとても遊ぶ気にはなれなかった。 それに制服姿では長い時間ぶらつけない─仕方無いから、いつも通りそこらのオッサンにたかるか。 そう考えていると、前方に彼のよく知る顔が見えた。 「げ」 「ちょっと、何でココに津田くんがおるん」 「な、ナオさんこそ何で!?」 「俺はそこの居酒屋でバイトしとんねん。そんな事より、こんな遅くまで遊び歩いて…親御さんには連絡したん?」 「連絡も何も、追い出された」 「ははん。どうせ何か悪い事でもしたんやろ」 「してねえ!」 「は?」 「俺は!何もしてねえ、何もしてねえのに!」 「ちょっ、人が見とる」 「悪い事なんかしてねえ!俺は、俺は!!」 「わ!分かったから落ち着いて、な?」 「フン」 「ホンマすまんわ。俺に出来る事は何でもするから、機嫌直したって?」 「…マジで?」 直が吐いた取り繕いの言葉に、悠斗が食いついた。 そして直の服の裾を掴み、言いにくそうに呟いた。 「あの、さ。今夜、ナオさんの部屋に泊めてくんねえ…?」 無駄な物が一切無い、殺風景にも見える部屋。 でもそれがここの住人らしくて、悠斗は思わず微笑んでいた。 火照る身体を弄びながら、ベッドに寝転んで瞳を閉じる。 遠くから聞こえる水音、広い部屋特有の冷たさ、静寂。 「結構良いとこに住んでんじゃん」 その言葉も高い天井に吸い込まれていく。 枕元のサイドボードに目をやると、そこにはシンプルな写真立てがあった。 そこに嵌っていたのは、以前『阿修羅・組』のメンバーで撮った写真。 楽しそうな表情をぼんやり見つめていると、シャワー上がりの直が出てきた。 「ちょっ、何見とるん。恥ずかしいわあ」 「良いじゃん別に」 「そやな…って、津田くん髪びしょびしょやん。ちゃんと乾かしいや」 「えー?面倒」 「そんな事言って、風邪引いたらどないすんねん。頭出しぃ。ドライヤー使たるから」 呆れた表情でドライヤーを向ける直に、悠斗はもたれかかった。 熱いとも感じられる温風を当てられ、髪をぐしゃぐしゃにされる。 でもそれすらも心地良くて、嬉しくて、直の手に頬を寄せた。 「どうしたん?」 「んー…ナオさんが俺の母親だったら良かったなあ、なんて」 「げほっ、ごほっ…何を言い出すんやこの子は!」 「ナオさんだけじゃない。寺島サンや日高サン、潤ちゃんも…皆、本当の家族だったら良いのに」 「津田くん…親御さんと何があったん?」 そう言いながら、直はドライヤーのスイッチを切った。 次にブラシを取り出し、話を促す。 悠斗は一度振り返って直の瞳を見つめ、口を開いた。 「俺ん家が母子家庭ってのは話したっけ?」 「いや、初耳や。…髪梳かすから前、向いて」 「…うん。俺の母親、最低な女なんだよね」 「自分を産んでくれた人の事、そんなに悪く言うなや」 「毎日のように『アンタなんか産まなかったら良かった』って言われても?」 「!」 「あの人に母親らしい事されたの、一度も無いんだよね。それどころか毎晩違う男を連れ込んで、俺は紙切れ1枚で追い出される。…俺が欲しいのはこんな物 じゃないのによ」 「津田くん…」 「一度で良いから、一瞬で良いから、俺にも向けて欲しい─写真の中の親父に向けてた、あの優しい笑顔を…」 「……」 その後暫くの間、悠斗は家庭の事情を話し続けた。 ぽつりぽつり出てくる言葉のひとつひとつにリアルな重みがあって、直は口を挟む事が出来なくなっていた。 だからひたすら、少し癖のある髪を黙って梳かす。 今の彼に出来る事はそれだけだった。 悠斗の口が止まった頃、髪型が完全に整った。 そこで直は彼の頭を1回撫でた。 「ハイ、出来上がり」 「どうも…頼んでねーけど」 「もっと素直になったらどうや」 「考えとく。その、ナオさん?」 「何」 悠斗が恐る恐る振り向くと、直はいつもの様に笑っていた。 哀れみも同情も感じられない、自然な表情。 ─言いかけた言葉を飲み込んだ。 「なんでもねえ」 「本当に何やねん…変な子やわ」 「変で結構だね。あー眠い。ナオさん、ソファー貸して」 「あかん。客人を粗末に扱うなど、俺の美学に反する。俺がソファーで寝るから、ベッド使い」 「それこそマズイって。…一緒に寝る?」 「…そやね。お母さんが子守唄でも歌ったるわ」 「あら嬉しい」 軽口を叩き合い、ふたりは爆笑しながら布団に潜った。 狭いベッドにガタイの良い男達が詰まっているというのも異様な光景だったが、あくまで本人達は楽しんでいた。 それに、人の温もりは眠気を誘う。 悠斗の意識は閉店寸前だ。 「津田くん、まだ起きとるか?」 「あー…いちお」 「寝床やメシぐらいやったら、俺がいつでも提供したる」 「どうも、っす」 「せやから…色々、頑張れ」 「ん…」 頭をくしゃりと撫でられ、悠斗は半覚醒状態で頷く。 でも間も無くして、静かな寝息を立て始めた。 それは広い部屋に響く。 規則正しい拍子を聴きながら、直はゆっくりと目蓋を閉じた。 |
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